思いのままに

日々徒然

部活について

le miel



「中学に入学したら、テニス部に入る」

と、決めていた。


その頃、巷では漫画「エースをねらえ!」が大流行していて、夢中で読んだ。


ロシニョールのテニスラケットを、学生鞄と一緒に持つことに憧れた。


女子校だったから、優しい藤堂先輩も、厳しくもイケメンの宗像コーチもいないのを承知で入部した。


「下級生は玉拾いばかりだよ」


と言われていたが、その年は、私と同じ考えで入部した1年生が五万といて、コートの周りを取り囲むと隙間がないほどだったから、玉拾いの玉すら飛んでこなかった。


運よく転がってきたボールをキャッチした際には、正確に先輩の元へボールを投げ返せただけで、満足していた。


そんな感じだったから、テニスはぜんぜん上達しなかった。


さほど傷んでもいないガットを張り替えに、わざわざ友人とウィンザーに寄ったり、可愛いアンダーコートを買ったり、先生の目を盗んでラーメンを食べて帰ったり、まあ、やりたい事はやった。



高校ではどの部に入るか決めかねていると、M子から「天文部に入るよ」と声がかかった。


みんなとクラスも替わっちゃうし、ボールに触れないテニス部に見切りをつけ、新天地を目指して同じ部に入ろうと話てはいたが、天文部?

天文に興味はなかったが、私も天文部に入ることにした。


天文部の顧問は、テニス部顧問のA先生が兼務していた。


理科が専門のA先生は、高齢だが清潔感があり、姿勢がよく、生徒から人気があった。

(紅白歌合戦で、長い間、蛍の光の指揮をとっていた藤山一郎に雰囲気が似ていた)


週一回の天文部の活動は、決まりごとは特になく、テニス部のような上下関係もなかったので、友人とおしゃべりして過ごしていた。


たまに届けを出して、学校帰りにプラネタリウムに行ったりもした。(途中、いつも寝てしまっていたが)


普段地味な天文部も、文化祭では来訪者に割と人気があった。

確か私たちは「ブラックホール」についてまとめていた。M子は誘っただけのことはあり、色々調べていた。


「ブラックホールって、そもそも何?」


と聞く私に、説明してくれるんだけど、あまりに抽象すぎてよく分からない。


「今も宇宙は拡張し続けている」とか言われても、理解不能であった。


結局私は、来訪者にお土産として渡す

「星座別しおり」の制作に殊の外はまり、精をだしていた。



こんなゆるい天文部でも、夏合宿はあった。


清里とか、野辺山に行ったりした。


昼間は活動がないので、合宿所でぶらぶらしていた。

A先生は優しくて、昼間暇にしているのも可哀想だからと、ミニバンを手配してくれて、

「ちゃんと時間に集合場所に戻るんですよ」

と、清里の街まで送り出してくれた。


私たちはソフトクリームを食べたり、お店を覗いたり、楽しく過ごした。


翌る日は、近くのテニスコートを予約してくれて、希望者には、もう一人の先生と一緒にテニスの指導もしてくれた。


なんせ、テニス部の顧問でもあるから、教え方がうまい。

テニス部に所属していた時より、天文部にいる方がテニスは見る見る上達した。


暇な私たちは、隣のペンションまで遊びに行って、オーナーやバイトに来ていた男子大学生とも仲良くなって、紙ナプキンを折るお手伝いなんかもしたりした。


そんな私たちを、心配で覗きにきたA先生は、戻りなさいとは言わずに、そっと見守っていてくれた。


夜になると、いよいよ天文部の活動がはじまる。


先生が物凄く大きなレンズの望遠鏡で、月のクレーターを見せてくれた。

私たちは、

「きゃー、流れ星見た!」

と、ここでも騒いでいた。


「あれ?◯◯がいない」

「寝てるんじゃない?おこしてくるわ」

と言うと、

A先生は、

「疲れているんでしょう。明日もあるから、寝かせておいてあげなさい」と。


A先生から見たら、私たちは「娘」と言うより「孫」に近かったからか、ともかく優しかった。

そして、私たちをいつも信用してくれていた。


私の天文部での3年間は、とても楽しい時間だった。


私は、今だにブラックホールの原理も、宇宙のことも理解出来ていないけれど、高校生の頃から、夜空を見上げる習慣だけはついた。


特に冬の、12月29日、30日の夜空は美しい。


私は、皆が寝静まった夜中に、そっと星を見上げる。


先日、A先生がお亡くなりになった。


今年私は、A先生のことを想い、夜空を見上げる。

農産物泥棒について

le miel



1200個のキャベツ泥棒


許せない


しかも、畑に2トントラックを乗り入れ、畑をめちゃくちゃにして盗んでいった。




以前、りんご泥棒の被害にあった農家の方が、インタビューに答えていたのを聞いた。


「りんごの被害だけでなく、酷いもぎ取り方で、枝が引きちぎられ、もうこの枝に実はつかない。

乱暴に踏み込まれたせいで土もぼろぼろで、、、

来年の収穫は、もう無理、、」


ひどく肩を落とす、高齢男性のやるせなさに胸が痛み、犯人への憤りを感じた。


被害総額◯◯円と報道されるが、

その被害額に、未来に予想される被害額は含まれていない。


土を整備し、手塩にかけ成長を見守り、害虫駆除に苦労しながら、やっと収穫を迎える。

そして、やっとの収穫が、生活の糧になるのだ。


今回、犯人は捕まった。 


刑が決まっても、犯人に支払い能力がない場合、被害者は泣き寝入りではないか。

こんなことを許していたら、日本の農業は終わってしまう。




数年前のことである。


約束の時間に遅れそうで、小走りに駅に向かう途中、大学生風の若者に声をかけられた。

その青年はリアカーを引いている。


「あの、、、今日、納品できなくて余ってしまった果物があって、、、

少しでいいので買ってくれませんか?」


私は本当に急いでいて、


「ごめんなさい。

今、とっても急いでいて、それに荷物をも持っていけなくて、、」


と言うと、


「いえ、突然に失礼しました。

ありがとうございました」


と、爽やかな笑顔で返された。


走りながら、


買うのは、ものの3分。

荷物も何とか頑張れば持てたかも、、

あの爽やかな青年に悪いことしちゃったな、、


と、少し後悔した。

自分には、こう言う時の、少しの犠牲的優しさが足りないと痛感した。


それから2日後に、今度は駅からの帰り道に、声はかけられなかったが、先日の青年とは別の青年が、リアカーを引いて道ゆく人に声をかけているのを見かけた。


???


私は急いで家に帰り、

「リアカー 青年 果物」

と検索した。


すると、


朝7時に集合して、リアカーいっぱいの果物を売る若者向けのバイトのことが書いてあった。

ノルマなし。一日1万円保証。


あれ?納品できずに余ってしまって、困っていたのではないの?



3日前に、購入してあげられなかったことを後悔した自分は何だったのだろう。




その数日後、またまた別のリアカー青年に、駅近くで声をかけられた。

爽やかな笑顔で。


「あの、、

果物が納品出来ず困っています。少しでいいので買って頂けませんか?」



「私は、その果物がどこのものか、ちゃんとわかる信頼できるお店からしか買わないことにしているの」


私の言葉は、少し挑戦的な言い方だったと思う。


「ありがとうございました!」

青年は顔色を変えず、爽やかに挨拶して去っていった。


この事を友人に話すと、

「その品が盗品だったかは、分からないよね。

決めつけは良くないと思うよ」

と言われた。


もちろん、断定するのは良くないけれど、、、


私たち消費者が、「ちゃんとしたお店で買う」

と決めるだけでも、少しは農産物泥棒の抑止力になってくれないかな。


「特殊詐欺」もそうだか、犯罪者は狡猾で、あの手この手で一般人を狙ってくる。


私は、少しの優しさをもちつつ、その気持ちが傷つけられずに、静かに生活していきたいと思うだけなのに。


注意深く生活していかねば、と思うこの頃です。

言えなかった言葉たち

le miel





父は挨拶にうるさかった。


小さな頃から、

「知ってる人に会ったら、必ず挨拶しなさい」 と、耳にタコが出来るほど言われた。


だから、小学生の低学年のころ、商店街を通る時には少し緊張した。


こちらが挨拶しても、気付かれないこともあったから、挨拶のタイミングは難しかった。


遠くに知っている人を見つけると、

わざと下を向いたり、横をむいたりして、気付いていないふりをしながら歩き、

すれ違う寸前で

 "たった今、気付きました"

って感じで顔をあげ、挨拶をした。


こんな風に気を遣っていたので、とても疲れた。




15、16歳ころになると、

今度は知らない男の人から、からかうようなことを言われたりするようになった。


わざと大きな音を出し、振り向かせて品定めするような、そんな人もいた。


だから、いつも警戒していた。




ある日、土手で犬の散歩をしていると、バイクに乗った男の人から、クラクションを鳴らされた。

無視すると、もう一度クラクションを鳴らされた。


私は、いつものように完全無視を貫いた。



犬の散歩から戻ると、家には久しぶりに親戚のお兄ちゃんが来ていた。

昔から知ってるお兄ちゃんだ。


「こんにちは〜」

と、笑顔で挨拶すると、


「いや〜、さっき挨拶したのに、K子ちゃんから無視されちゃって悲しかったなぁ〜」

と冗談ぽく言われた。


さっきのバイクに乗っていたのは、お兄ちゃんだったのだ。

フルフェイスヘルメットをかぶっていたから、分からなかった。


それを聞いた父は、怒りだした。

「おまえは、挨拶されたのに無視したのか」と。


あの時、


だってお兄ちゃんだとは分からなかったんだよ。

私はね、変な人に声かけられたり、ニヤニヤされたりすることがあるから、いつもいつも警戒しているんだよ。

大変なんだよ。


思春期の叫びを父に言える訳はなかった。



小さい頃も、思春期の頃も、言いたいのに言えないことがたくさんあった。


言い訳したいこともたくさんあった。

言えずにいた「ごめんなさい」も「ありがとう」もたくさんあった。


言えなかった言葉は私の中のどこかに、ずっと残っているような気がする。

だからなのか、ふとした時に昔のことが思い出され、その時に言えなかった言葉を、今の自分が言葉にしている。




「これとそれ、同じに見えるけど、値段が違うのはなんで?」

今では、疑問に思ったことは何でも聞ける。


「あら、今日は大根がこんなにお安いの?」

どうでもいいことも、声に出しちゃう。


「ほんと!お安いわ。私も買います」


私の言葉に、知らない人が答えてくれると、

その日は、とても幸せな一日となるのです